矯正治療のゴール設定
仮想正常咬合と個性正常咬合、そして Oral Form
矯正治療において「どのような咬み合わせをゴールに設定するか」は、治療結果の安定性や長期的な予後を左右する、最も重要な設計指針です。
ゴール設定を考える際、臨床の判断基準として「仮想正常咬合」と「個性正常咬合」という、考え方の違う2つの基準が存在します。
教科書的な「理想」と、個人における「最適解」
矯正学における「正常咬合」という言葉は、文脈によって次の2つの意味で用いられてきました。
1. 仮想正常咬合(Ideal Normal Occlusion)
たくさんのデータから導き出された「理論上の理想」です。
セファロ分析をはじめとする多くの診断基準は、この仮想正常咬合を前提として構築されています。
これは、教育・研究・診断の共通言語として重要な役割を果たしてきました。
※セファロ分析:レントゲン画像を使って、顎や歯の位置関係を数値で確認する分析です。
2. 個性正常咬合(Individual Normal Occlusion)
理想的な数値や形とは完全には一致していなくても、その人の骨格・筋肉・顎関節との関係の中で調和し、健康に機能している咬み合わせを指します。
従来の矯正治療におけるゴール設定
従来の矯正治療では、原則として「仮想正常咬合(理想の形)に近づけること」が治療目標として設定されてきました。
成長期の子どもや、骨格条件が整っている症例では、このアプローチが有効であることも事実です。
問題が生じやすいのは、条件がすでに固定化している大人の矯正治療です。
なぜ、大人に「理想」を当てはめると無理が生じやすいのか
大人の口腔内は、長い時間をかけて形成された「今までの積み重ね」です。
- すでに成長が終了した顎の骨
- 長年の使用による歯のすり減り
- 詰め物や被せ物などの人工物
- 長期間かけて適応してきた筋肉と顎関節のバランス
これらのその人固有の条件を十分に考慮せず、一律に「仮想正常咬合(理想の数値)」へ歯列を収束させようとすると、見た目は揃っても、次のようなリスクが高まる場合があります。
- 顎関節への負担が増える
- 歯肉や骨に過度なストレスがかかる
- 治療後に不安定になったり、後戻りしやすくなる
これは「従来の矯正学が間違っている」という話ではありません。
「どの症例にどの基準を使うか」という使い分けの問題です。
当院の基準:Oral Form に基づく個性正常咬合
そこで当院では、とくに大人の矯正治療において、ゴールを画一的な「仮想正常咬合」ではなく、その人にとっての最適解である「個性正常咬合」に設定します。
ただし、個性正常咬合は「妥協」や「緩い基準」ではありません。
それを導き出すための判断軸として用いているのが、Oral Form(オーラル・フォルム)という視点です。
Oral Form とは
Oral Form とは、口腔を単なる「歯の並び」ではなく、次の要素を含めた「ひとつの機能する器官としての形(Form)」として捉える設計視点です。
- 歯と歯を支える骨の関係
- 顎関節と筋肉の調和
- 機能と、将来的な変化への適応性
治療設計の順序
1
Oral Form の診断
CT撮影等により、現在の骨格・歯根・機能のバランスを正確に把握します。
2
許容範囲の設定
その人の Oral Form において、どこまで歯を動かしても安全かを見極めます。
3
個性正常咬合の確立
無理のない範囲で、機能的に最も安定する咬み合わせ(ゴール)を設計します。
教科書的な「理想」を先に置くのではなく、その人の Oral Form を出発点とし、結果として成立する個性正常咬合を目指す。
これが、当院が考える「無理が少なく、長期的に安定しやすい矯正治療」の本質です。
このページについて
ここで述べている内容は、従来の矯正学や特定の治療法を否定するものではありません。
当院が、どのような前提で診断し、どのような基準でゴールを設定し、なぜその判断を行うのかを、治療前に正確に共有するための説明です。
矯正治療は、「どこを目指すのか」を理解したうえで選択する医療です。
その判断材料として、この考え方を提示しています。